Dropbox、Facebook、Googleなどはあまりにも普及しすぎているネットワークサービスであり、これを手放そうと提案すると、多くの人はにやにや笑いながら、「そうかもしれないけど、そんなことできっこない…」という表情を示します。「自分には(国家から)隠さないといけないようなやましい情報はない…」と。
スノーデンは記事の中で「自分には”隠すものは何もない”という立場を取る人々に対して、それは「権利のしくみに関する責任の在り方を覆すことだ」と反論しています。
国家に対して自分に隠すべき情報がないからいいや…というのは無責任な態度であると述べているわけです。私もこれを読んで、これまで何かもやもやとしていたものが整理された感じを受けました。
例えるならば、国家に秘密警察が存在していて、国民のプライバシーを”治安対策”という名目で侵害していたとしましょう。例えば、電話の盗聴、手紙の検閲、尾行、思想信条に関する密告などがあるのだとしたらどうでしょう? かつて戦前の日本でも、戦後の東ドイツでもこのようなことが実際にあったと思います。今の私たちの感覚では、それはとうてい受け入れることができないと思います。なぜなら、深刻な個人の人権侵害であるし、例え治安のためとは言え許容できないものだと誰もが感じるでしょう。「自分には秘密警察に対して何もやましことや、隠すべき事がないので、秘密警察が存在していても全然構わない…」ということにはならないということに気がついてください。
そう考えると、米国政府がテロとの戦いという名目で、米国のIT企業が保有している個人情報を自由に入手していることを許容している我々の感覚は、何か間違っていることに気がつきます。秘密警察のやっていることと基本的には内容が同じなのです。ただ、秘密警察よりもスマートに、国民の指示を得ながら上手にやっていて、皆が知らず知らず受容させられているということです。
米国を代表するIT企業のサービスは米国民だけではなく、全世界の利用者が対象です。しかも、米国民はまだ米国の憲法で守られる対象になりますが、米国から見た外国人の個人情報については一応尊重するという表現は使っているかも知れませんが、米国の憲法で守られる対象ですらないということにも気がつく必要があります。
世界中の人々の個人情報を自在に入手できる立場にある米国の諜報機関とは、考えただけでも恐ろしいほどの権力を掌握している機関であり、深刻な個人の人権の侵害を行っています。我々がこれに対抗する手段は持ち得ませんが、自分の個人情報を守ろうという人権意識を持つことがまず大切かも知れません。
2014年10月13日 TechCrunch Japan
スノーデンのプライバシーに関する助言:Dropboxは捨てろ、FacebookとGoogleには近づくな